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大津地方裁判所 昭和35年(ワ)25号 判決

原告

三科たみ

被告

琵琶湖汽船自動車株式会社

主文

被告は、原告に対し金六〇万円およびこれに対する昭和三四年四月三〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は、三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告において金二〇万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三四年四月三〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は、三科駒次郎の妻であるところ、被告会社の従業員である訴外山本岩三郎が昭和三四年四月二九日午前八時三〇分頃、被告会社経営の普通乗合自動車(滋二あ一、〇六七号)に乗客五八名を乗車させ、高島郡新旭町より大津市に向け、国道一六一号線を時速約三五粁くらいにて南進中、滋賀郡志賀町大字木戸地先の木戸浜から木戸小学校に通ずる県道との交叉点に差しかかつた際、右三科駒次郎が原動機付自転車に乗り、右交叉点の東方約一〇米の県道を交叉点に向い西進してくるのを進路前方約四〇米手前においてこれを認めたが、その時三科駒次郎が交叉点の手前で一たん停車して、乗合自動車に進路を譲るか、或は右乗合自動車の前方を直進して交叉点を横断するか予測できない状態にあつたのであるから、かような場合自動車運転者たる者は絶えず原動機自転車乗用者の行動を注視し、その行動に応じて、いつでも停車できるように徐行する等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、右三科駒次郎が交叉点の手前で徐行したのを、一たん停車して乗合自動車に進路を譲るものと軽信して、同人の行動を十分確認しないまま、漫然時速約三二粁ぐらいにて進行を続け、該交叉点を通過しようとしたため、時あたかも右交叉点を横断しようとして、進路前方に進出して来た三科駒次郎を前方約六米くらいの地点において、ようやく認め急遽制動機をかけたが、時すでに遅く、原動機付自転車の右側に乗合自動車の前部を衝突させて、三科駒次郎を道路上に転倒させ、これがため、同日午後三時五〇分頃、大津赤十字病院で同人を脳出血により死亡するに至らしめたものである。該事故は全く被告会社の従業員である訴外山本岩三郎の過失に基因するものであつて、且つ被告会社の営業である自動車運輸事業に従事中、惹起したものであるから、被告会社は右三科駒次郎および原告において生じた損害を賠償すべき義務がある。

(二)  しかして、右三科駒次郎は死亡当時、日本放送協会(NHK)大津放送局に集金員として勤務し、年間金二四二、一六九円の収入を得ていたのであるが、同人の一箇月の生活費は金五、〇〇〇円にして、一箇年金六万円を要したから、その純収益は最低一箇年一八二、一六九円である。しかして同人は死亡当時労働に支障のない満四二年の健康な男子であつて、将来少くとも二〇年間は労働可能というべく、従つて該事故のため右二〇年間の得べかりし純収益金三、六四三、三八〇円を喪失し、同額の損失を被つたものであるから、被告に対しこれが賠償として右金額よりホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除した金一、五二一、六九〇円を請求することを得べく、そして原告は亡三科駒次郎の妻にして、同人の死亡によりその損害賠償請求権を相続により承継取取得したところ自動車損害賠償保障法によりすでに金三〇万円の支払いを受けているから、これを控除した残額金のうち金五〇万円を本訴において請求する次第である。

(三)  原告は昭和二六年四月九日右三科駒次郎と婚姻して、爾来同棲していた者であるが、夫の死亡により精神上甚大な苦痛を受け、愁歎比すべきものがないから、この精神的損害に対し被告は慰藉料を支払うべき義務あるものというべく、右慰駒料の額は諸般の事情を斟酌して、金五〇万円をもつて相当と考える。

(四)  よつて原告は被告に対し右各合計金一〇〇万円およびこれに対する本件事故発生の翌日である昭和三四年四月三〇日より右完済に至るまで民事法定利率による年五分の割合による遅延利息金の支払を求めるため本訴請求に及んだ、

旨陳述した。(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、その答弁として、

(一)  原告が三科駒次郎の妻であること、そして三科駒次郎が、原告の主張する自動車事故によつて死亡したこと、並びに被告会社は自動車運輸事業を営むものであつて、訴外山本岩三郎は被告会社の被用者であることは、これを認める。その余の事実はすべて争う。

(二)  本件自動車事故発生について、訴外山本岩三郎には、何らの過失はない。当時同訴外人は、国道一六一号線を時速約三五粁で南進中、前記交叉点の手前約四〇米の地点で、交叉点東方約二〇米の県道上を三科駒次郎が、原動機付自転車に乗用して交叉点に向い西進してくるのを現認したから、これに注意をしながら進行したところ、突然三科駒次郎が国道上に進出して来て、本件事故が惹起されたのである。すなわち、国道一六一号線と県道の交叉点における通行順位はいうまでもなく、国道線が優位することは、道路交通取締法第一八条に明定せられているところであつて、優先道路を横断しようとする者は、一たん停止して優先道路にある車馬に、進路を譲らねばならないのに、三科駒次郎はこれを無視して国道に進出して来たのである。しかも、該交叉点はその東側は見透しのきく場所であるから、同人は国道上を乗合自動車が進行してくるのを現認しておつたのである。さればこそ交叉点の手前で片足をペタルより外して一たん停車したことを訴外山本岩三郎は現認し、それがため、速度を時速三二粁となし進行したのである。該国道附近は、道路交通取締法第一五条第一項第三号により最高速度五〇粁となつているから、同訴外人は、当時制限速度内で運転していた。また前記交叉点に至る県道は、三五度くらいの傾斜をなし、原動機付自転車に乗用したまま運行する場合は、相当エンジンをかけないかぎり登りがたい坂道であつて、三科駒次郎が交叉点手前で一たん停車したが、エンジンをかけたまま停車していたがため、特に同人は、無免許運転の上、しかも、運転技術未熟の故に、停車していたとしても、原動機付自動車が自然何かの拍子に国道に飛び出したものと考えられるのである。しかのみならず、同人は、病弱者であり、原動機付自転車を乗用するには、不適格者であつた。一方、訴外山本岩三郎は、昭和二一年四月より貨物自動車見習助手となり、昭和二七年六月二一日滋賀県において、大型第二種免許を得、爾来、自動車運転者として、その業務に従事し、その経歴極めて豊富かつ、運転技術は優秀であつた。これらの事由から、原告はすでに三科駒次郎の過失を自認し訴外山本岩三郎との間においては和解が成立しているのである。

(三)  仮に、本件事故の発生につき、訴外山本岩三郎に、過失の責任があるとしても、被告会社はその選任、監督につき相当の注意をなしたから、損害賠償の責任はない。すなわち、被告会社は同訴外人を採用するにあたつては、学科試験、実地試験、面接、器能検査(クレペリン反応)、身体検査等を行ない、その試験の結果、同人が所定の成績を得たから採用したのであつて、その採用後は一〇日間は古参運転者の指導のもとに、実地指導を行ない、また、常時乗務員服務規程を携帯せしめ、これを熟読服庸せしめていた。さらに、始業前においては、仕業点検記録表によつて、各装置の機能を厳重に点検せしめ、これをその上司である運行責任者に報告せしめていた。本件事故発生の当日においても、同訴外人はこれを実施し、その点検の結果を運行管理者に報告した後出発したのであつて、その出発に際しては、運行管理者は、従業員に、運転上の注意をなし、しかる後出発せしめている次第であつて、以上の如くその選任監督につき、被告会社は相当の注意をなしていたのであるから、当然免責せられるべきものである。

(四)  亡三科駒次郎は、昭和三三年一一月一一日より肺壊疽のため、大津赤十字病院に通院治療を受け、次いで、同月二一日より同年一二月二一日までの間、同病院に入院し、その後も通院治療を受けていた者であり、勤務先である日本放送協会大津放送局へは、腎臓病の故を以て、長期間休職中であつた。右の如く同人は極めて病弱者であり、原告が主張するような健康体ではなかつたのであるから、その損害額については争うものである。また原告は、すでに自動車損害賠償保障法により補償を受けておるのであつて、それ以上被告会社は、損害金を賠償する義務はないというべきである。

また仮に被告会社において、その義務ありとするならば、本件事故発生につき、前記の如く三科駒次郎においても過失があるのであるから、その損害額算定にあたつてこれが斟酌せらるべきものと思料する。

旨陳述した。(立証省略)

理由

被告会社が、自動車運輸業を営むものであり、訴外山本岩三郎が、同会社の被用者であること、そして右山本岩三郎が、昭和三四年四月二九日午前八時三〇分頃、被告会社経営の乗合自動車(滋二あ一〇六七号)を運転中、滋賀県滋賀郡大字木戸地先の国道一六一号線と県道(木戸浜から木戸小学校へ通ずる道路)の交叉点において、原告の夫である被害者三科駒次郎に、該乗合自動車を衝突させて、これがため、同人は脳出血により、同日午後三時五〇分大津赤十字病院において、死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

そこで本件事故が、右訴外山本岩三郎の過失に基因するものかどうかについて検討するに、成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証、第七号証ないし第九号証、証人村上きよ、同山本岩三郎の各証言並びに検証の結果を綜合して検討するのに、訴外山本岩三郎は前示日時前示乗合自動車に乗客五八名ばかりを乗せて、幅員約六・九〇米の前示国道を、高島郡新旭町から大津市へ向け、時速約三五粁くらいで運転中、前示交叉点に差しかかつたが、該地点は国道は南北に、県道は東西に通じ、当時国道は、非舗装道路であつたが、大体平坦であつて、右交叉点を中心として、稍々西方に湾曲しているけれども、交叉点より北方約四〇米くらいは見透し十分というべく、一方、県道は、幅員約四・二〇米であつて、交叉点附近においては、一直線をなしており、非舗装道路の軽い上り坂となつている。交叉点北方一五〇米くらいの国道上から、交叉点東方二〇米くらいまでの県道上は、見透すことができる。しかして、訴外山本岩三郎は右交叉点に差しかかる約四〇米手前で、原動機付自転車を乗用する三科駒次郎が、右交叉点東方約一〇米の県道上を、交叉点に向い、時速約一五粁くらいで、走つてくるのを発見したので、それまで時速約三五粁くらいで運転していたが、自己の自動車の直前を三科駒次郎が横断するときの危険に備え、交叉点の約二〇米くらい手前で、時速約二二粁くらいに減速したところ、あたかも、その時三科駒次郎は、交叉点東端に差しかかつており、速度も時速六粁くらいで、非常に緩めていたので、その場で一たん停車して、優先通行権のある乗合自動車に進路を譲るものと考え、さらに速度を時速約三二粁くらいに加速した上、右交叉点を横断しようとして、一瞬三科駒次郎の動向を注視しないまま進行したところ、交叉点の手前約五米くらいに来た時、交叉点東端で、一たん停車しているものと信じていた右三科駒次郎がすでに交叉点中心附近を時速約一五粁くらいで走つているのに気づき、その間の距離はもはや約六米くらいしかなく、慌てて制動機をかけたが、時すでに遅く、乗合自動車の前部を原動機付自転車の後輪右側に衝突させた上、なお、約六米くらい滑つて、乗合自動車は停車したが、三科駒次郎はその傍で頭から出血して倒れていたことが認定できる。右認定に反する証拠はいずれもこれを採用しない。

思うに近時、自動車の発達に伴いその事故による被害の多きに、人は自動車をもつて、走る兇器と呼んでこれを恐怖している。一度その運転を誤るときは、人命が一瞬にして葬られ、その朝には発刺として家を出た者が、夕べには死骸と化して帰宅せざるを得ない悲惨事が余りにも多い昨今である。かような重大な影響をもつ自動車の運転者たる者は、その運転にあたつては、細心の注意をもつてすべく、本件についていえば、訴外山本岩三郎は絶えず前方を注視し自車の進行途上に現われる人馬、車輛の動きに一瞬たりとも、注意をそらすことなく、その人馬、車輛の動きに即応して、自車の速度を加減し、警笛を吹鳴し、事態の緩急に応じ、いついかなる場合といえども、急停車の措置が講じ得られるよう万全の態勢を整えて運転し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるというべきところ、同人は前段認定のごとく、前記交叉点より約四〇米手前で被害者三科駒次郎が原動機付自転車を乗用して交叉点に差しかかるのを現認しながら、同被害者が右交叉点の手前で一たん停車するものと軽信してその動向を確認することなく、一度は自車の速度を落しながら、さらに、時速三二粁くらいに加速した上、前方注視の義務を怠り、漫然交叉点を横断しようとして、進行したことによつて、本件事故が発生したものといい得べく、されば訴外山本岩三郎の過失の責任は到底否定し得べくもない。この場合、同人が制限速度内で進行していたこと、また、三科駒次郎が狭い県道から広い国道へ進出するのに、一たん停車の措置をとらなかつたこと、および広い国道を進行中の乗合自動車に、進路を譲るべき義務を尽さなかつたことがあつたとしても、訴外山本岩三郎の過失の存在に何ら消長はないのであつて、また、同人と原告との間において、乙第四号証の如き示談が成立したとしても、同訴外人の過失の存在になんらの影響はないというべきである。さらに被告会社は、三科駒次郎が原動機付自転車のエンジンをかけたまま、交叉点手前で停車していたところ、その運転技術未熟の故に、自然同自転車が国道上に飛び出したものと考えられる旨主張するのであるが、かような主張は、単なる推測を出でないものであつて、なんらの根拠なく、また、証拠もない。

しかして、被告会社は、訴外山本岩三郎の選任、監督について、相当の注意をなした旨主張し、その使用者責任を否定するのであるけれども、証人真田良造、同山本弥三松の証言より考えて、単に一般的、抽象的な監督をなしたというのみにては、未だもつて法の要求する相当の注意をなしたものといいがたく、その他被告会社の免責事由を認めるに足る証拠は他にないから、右主張は排斥せざるを得ない。

従つて被告会社は、訴外山本岩三郎がその事業の執行についてなした本件不法行為に関し、その損害賠償の責任を負うべきものといわねばならない

次に、三科駒次郎に過失があつたか否かについて判断するに、前示各証拠によれば、同人は前示交叉点手前において、すでに、国道上を南進してくる本件乗合自動車を十分現認したはずであつて、しかも、狭い県道から広い国道へ進出するについては、一たん停車の措置をとり、その左右の安全を確認した後、交叉点を横断すべく、また、その場合国道上を進行してくる乗合自動車に、まず、進路を譲るべき義務があつたにもかかわらず、かような注意を全然欠き、自身は原動機付自転車の練習中の身であるにもかかわらず(この点は原告本人の供述により明らかである)、極めて緩慢な速度でもつて交叉点を横断したことによつて、本件事故が惹起されたものといい得べく、されば、該事故発生につき、三科駒次郎の過失も、また、これにあずかつて十分なものがあるといわねばならない。

よつて損害額につき判断するに、証人北村文男の証言により真正に成立したものと認め得る甲第二号証、同証言および原告本人尋問の結果によれば、三科駒次郎は、昭和二〇年一二月ごろから日本放送協会大津放送局に集金員として勤務し、昭和三三年一月より同年一二月までの一年間の給与支給額が、金二四二、一六九円であつたことが認められ、同人は死亡当時年間純益が少くとも右と同額であつたものと認定するに十分である。そのうち、三科駒次郎自身の生活費は一ケ月金五、〇〇〇円未満であつたことも認めることができる。

そして成立に争いのない甲第一号証によれば、同人は、大正五年一月二四日生れであつて、本件事故発生当時満四三年三月の男子であつたことが明らかであり、右年令の男子が、なお、二〇年間は活動し得ることは、当裁判所に顕著な事実である。この点に関し、被告会社は三科駒次郎が病弱の故をもつて、それだけの命数を保持しがたい旨主張するけれども、同人が事故発生当時病気療養中であつたとしても、その命数が右以下であることの証拠は到底発見しがたく、むしろ、死亡当時の健康状態、年令、職業、過去の病歴、その他一切の事情を綜合して考えても、なお、二〇年間は活動し得るものと認めるのを相当とする。してみると三科駒次郎は、本件事故によつて、その後二〇年間、純益から同人の生活費を差引いた一カ年金一八二、一六九円の割合による合計金三、六四三、三八〇円の得べかりし利益を喪失したことになるのであるが、該喪失額をホフマン式計算法により、一年毎に年五分の割合による中間利息を控除して算出すれば、金一、八二一、六九〇円になる。しかるに原告はすでに自動車損害賠償保障法により金三〇万円の支払を受けていることは、当事者間に争いないところであるから、右喪失額から該金額を差引くと結局、金一、五二一、六九〇円の損害となり、しかして、前示甲第一号証によれば、三科駒次郎と原告との間には、三科栄子外三名の嫡出子があることが明らかであるから、原告は結局、被害者の妻として右損害額の三分の一金五〇七、二三〇円を相続により承継したということに帰する。しかして、前示各証拠を綜合して考えるに三科駒次郎は死亡当時、原告との間に前認定の如く満六才を頭に四人の幼児を擁し、年老いた両親が生存しており、しかも、実父は中風で臥床の状態にあつた。原告が田地四反を耕作しその収穫と、三科駒次郎の前記収入が家族八人の生存の糧であつたのである。一家八人の精神的、経済的の支柱を失つた遺族の遣る方なき悲歎はまた想像するにかたくはない。かかる悲歎は貴賎貧富による差別はないというべきである。むしろ原告の如き環境にある者ほど、その悲歎は大きいものといえる。しかも生命の尊貴は他に比すべき何ものもないのである。一方被告会社は運輸事業を経営する法人である点等にかんがみ、原告に対する慰藉料額は金四〇万円をもつて相当とする。従つて結局被告会社は原告に対し、財産的損害として原告の請求にかかる金五〇万円および前示慰藉料額四〇万円、合計金九〇万円について支払義務があるというべきところ、本件事故発生につき三科駒次郎においても前示認定の如く過失があつたのであるから、該過失を斟酌して、前示損害額のうち金六〇万円をもつて、賠償額と定めるのを相当と考える。

しからば、被告会社は原告に対し金六〇万円およびこれに対する不法行為発生の日の翌日である昭和三四年四月三〇日以降、右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延利息金を附加して支払う義務あるものにして、この限度において、原告の請求は正当としてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきものとする。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西村実太郎)

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